ショワジー『建築史』

原著は1899年出版。桐敷真次郎先生の翻訳である。中央公論美術出版から。

建築史学にとっても、近代建築史にとっても、不可欠の著作である。ただほとんどの建築関係者(ぼくもそうなのだが)はバンハム『第一機械時代の理論とデザイン』をとおしてはじめて知ったのではないだろうか。しかも近代建築を準備した、プレモダンとして。

しかし21世紀になった今、その「第一機械時代」とやらも、歴史的に相対的なものとして見なさなければならない。そうするとショワジーが準備段階の人であったなどという認識も修正しなければならないだろう。

最近フランスではショワジー関連の論考も多い。もちろんご当地の人びとにとってバンハム的解釈などはほぼどうでもいい話しである。第三国の日本からの見方も多様化すべきではあろう。それはともかく、ショワジョーは建築家ではなくエンジニアであること、サン=シモン主義の影響を強くうけていること、ネットワークの概念をもっていたこと(21世紀的世界観の遡及的適用か?)などが主要な論点のなかにある。なかでも重要なのは:

(1)「見上げアクソメ」が、さまざまな建築をビジュアル化し比較検討するときの普遍的フォーマとになっている。このことによって、構造、構法、空間(1スパン分の)を一体として把握できる。

(2)様式伝播図によって、たとえばビザンチン、ロマネスク、ゴシックの東方をふくむ全ヨーロッパ的な流れがわかる。

(3)さらにアクソメと伝播図をクロス的にみれば、バリエーションの地理的分布をとおして、普遍的な建築のありようをイメージできる。

・・・という部分である。とくに「見上げアクソメ」はたんにプレゼ手法のようでいて、ショワジーのなかではほとんど建築の定義そのもののような位置づけを与えられてるようだからである。関連研究を全部見ているわけではないのでよく知らないが、エンジニアであったショワジーが、橋梁のプレゼ方法を流用したとか、そんなことがあったら面白い。つまり建築の外部であるなにかを、建築にもちこむことにより、普遍的な建築の定義としているのである。

フランスの文献でもヴィオレ=ル=デュクの合理主義とショワジーのそれはどうちがうのか、などという議論があったが、「構造合理主義」などという視点はいかがなものかと思う。つまりそういう言葉使いだと、計画/構造/環境といった現代の日本的枠組みがそっと遡及的に挿入されてしまうわけで、とりあえず19世紀のものを19世紀的枠組みのなかで再現してみるということができなくなってしまうのである。

「見上げアクソメ」は端的にいえば一種の「建築の定義」なのである。このように定義してこそ、様式伝播図が意味を持ち、ひとつの「建築」がさまざまなバリエ-ションを展開させつつ地球上の各地にひとまってゆく、それが上位の「メタ」建築なのである、・・・・というようなことをショワジーは構想していたにちがいない。

ショワジーのアプローチは驚くほど現代的である。20世紀後半、ナショナル・アイデンティティを強調するあまり建築史は各国建築史として描かれてきて、その限界も感じられてきたので、アジアや、ユーラシア、はたまた地球全体を視野に入れたスタディもされている。町屋がアジア的広がりがあるとか、木造ディテールを指標として日本と中国との類似性や関連性を明らかにしたすばらしい研究もある。グローバル化である。

しかしこのグローバル化はすでにショワジーが構想していた。100年も前に、ではなく、19世紀がそういうグローバルな世紀であったのである。そこでは地域ごとに地域建築史を研究する学問(フランスでは歴史というよりアルケオロジーになる)が成立するいっぽうで、ショワジーにように、見上げアクソメという断面で、地球をスキャンしようという人まで現れるのである。

そして重要なのは、ショワジー的視点は、それまでの建築学の内部にはまったくなかった外部の視点である、ということにある。さらにこの「ショワジー的視点」とは構造合理主義といった唯物論的なものではないと思う。ぼくは、著作は唯物論的に書かれているが、ショワジーそのものはまったくの観念論者であると思う。

ひるがえって21世紀初頭のぼくたちの立ち位置を考えてみる。建築を批評してみようという時代はすくなくとも数年前に終わっていたようだ。現代思想、哲学、メディア、テクノロジーから考察しようという試みがなされ、豊かな成果をあげながらも、地球上はコールハースの指摘どおりにジャンクスペースばかりとなり、さらにはリーマンショック以来の状況でまず仕事もなくなったというような状況である。ここが100年すこし前のグローバル的状況とちがう点で、今はその外部がない(かに見える)というようなことである。あるいは世界はすでにすべて建築化されている?

しかし19世紀とは、プロジェクトを受注した建築家たちがたいがいはつまらない折衷主義の建築をつくっていた時代なのだ。しかしその19世紀、理論は格段に進歩した。極端にいうと、19世紀とは創作はダメ、理論とテクノロジーはOKの時代だった。しかしある意味で実践と理論がうまく乖離したことで、20世紀のいろんな実験が可能になった。

ということは理論ぐらいしっかりしなさい、というのがぼくが信じる建築の神様が、ぼくたちに送るお叱りの言葉なのであろうか。そしてとりあえずは、今の時点で、ジャンクスペースにひたりながら「建築の外部」なるものを考えるなどということなのであろうか。