石榑督和『戦後東京と闇市』

石榑督和さんからいただきました。ありがとうございます。

闇市というと、焼跡闇市派といわれた野坂昭如火垂の墓』とか、あるいはひとまわりか、ふたまわりの世代にとってはノスタルジーの対象であったりする、ぼくはそこまでなれないなあというような、微妙な対象である。個人的には、そういえば学生時代、新宿丸井でジャケット買ったなあとか、池袋のセゾンミュージアムにときどきいったなあとか、渋谷はサラリーマンや学生にとっての安酒街だったなあとか、渋谷のジーニアスがいちばんよかったとか、そのていどの記憶である。それも歴史の一部になりつつあることが、巻末の年表には示されている。

都市を分析するためには、著者のように都市組織とは、あるいは都市構造というように、いちど抽象化しないといけない。指標によって見え方が違うからである。さらに都市のそれぞれの場所性は、そこに固有の経緯もあるのだが、やはり全体の構造があり、それが各要素の相互関係を規定している。たとえば昔のヨーロッパの都市には、場末があるが、それは都市の内外で税法がちがうからである。

東京でいえば、鉄道網がすでにこういう構造を提供していた。その構造のなかで特有の「場」ができる。それが非合法商業組織も、合法零細商業組織も、大資本も呼び寄せる。なにを吸引するかは、餓死者がでるような配給制の状況と、消費社会が回復した状況では、まったく違ってくるのは道理である。だから闇市が盛り場になるのは、たとえ経営者が同じであったも、前者が後者にロジカルに変容するのではない。同じ構造+違う状況が、その場になにをもたらすかが決まってくるのであろう。

都市の現象は、遠望としては自然発生的とされるものでも、近くでみればすべて人工的である。その人工性、さまざまな形態の組織化を、本書は具体的に、淡々と示す。建築史家としては、こういうデータ配列で世界がちがうふうに見せるのは好きである。

ぼくの上の世代は、戦後的カオスのなかから「理念」を抽出しようとしていた。管理社会の外部にでること、一種の自律的ユートピアであろうとしたこと、住むことの原点をそこに再発見しようとすること、である。本書はそうした理想化にはしるのではなく、データにより語らしめるという方法論である。そこから闇市の立役者はだれであったかという社会の構造が読めるであろうし、個人的な生き方から、組織化の方法論まで、興味の範囲はひろがるであろう。網野善彦のような社会のマージンに注目する視点を復活させるであろうし、世界都市にはかならずある非合法すれすれの街とその組織、など普遍的問題を考える手がかりにもなるであろう。それから地方都市のほうが、まだまだ、いわゆる終戦直後の混乱の痕跡が、わけあり地区としてあるのだが。

本書は、著者にとってはあくまで基礎作業であると考えられる。このプラットフォームのうえに、具体的な指標ごとの、おもしろい各論が提供されることが予想、期待される。