アンドレアス・グローテ『ゴシックの匠』

日曜の朝、さわやかに読んだ。ドイツ語初版1959、英語版1966、この日本語版2018。15世紀、ウィトルウィウス建築十書が再発見された。1548年のヴァルター・ライフによる『ドイツ語版ウィトルウィウス』の内容紹介とドイツ建築へのインパクトが紹介されてている。
1563年のブリューゲルバベルの塔の建設》への影響(建設機械、工事現場風景)が示唆されているのはおもしろい。実際の建物ではなく、建物イメージを描くことへの貢献である。考えてみれば当たり前だが、バベルの塔の絵画は、完成図もあれば建設途上のものもある。後者はにより「建設現場」である。牛や馬に曳かせる荷車、巻上機、石材をバールのようなものでころがす職人などが描かれている。それらは遡及すればウィトルウィウス建築書というわけである。ただしブリューゲル描く建設現場における足場は、どうみてもリアリティがない。おそらく建設現場の視察はしなかったのか?
ただ図版をみればドイツ語版はチェザリアーノ版の図版をすこし改めただけでほぼそのまま使っている。ふたつの版の図版を比較して、ドイツ語版は前版のどれを再録したか、新録はあるか、などを調べるとおもしろいであろう。とくに円形プランのものの四分の一だけを図示した理想都市案は、チェザリアーノそのままである。しかしライフは左上の空白を、風車、直角定規、コンパスなどで埋めている。
感想としては、ドイツ人はチェザリアーノ版ウィトルウィウスの工学技術にはおおきな関心をはらった。建築というより建設技術の体系である。しかし芸術的側面へはそれほどでもなかった。そういう文化摂取はドイツのゴシック的伝統からきている。ゴシック的精神にのみこまれたウィトルウィウス、というわけである。このように考えると工学技術としてのゴシック、芸術としてのルネサンスという構図がみえる。ウィトルウィウス建築十書はいわば総合的な文献なので、読み手の視点でどうとでも読めるのであろう。
グローテ自身の思想的背景はあまり知らないが、芸術における中心の喪失を嘆いたゼードルマイヤの弟子ということであれば、同時代のまさにバウヒュッテやバウハウスにおける工作技術という実体的なものを重視する視点があった。それがゴシック、ドイツ的なものを貫通するなにかだと想定されたのであろう。
訳文はこなれており読みやすい。ただし自由七学科は三学と四学ではなく三学四科ではなかったかと思うし、シュジェなのかシュジェールなのかなどいろいろである。