TANGE BY TANGE 1949-1959

丹下健三から見た丹下健三』がギャラ間で開催されている。加藤敏子さんが提供した、丹下健三個人蔵の自撮り建築写真であり、それをコンタクトプリントしたものが展示される。

図録は豊川斎赫さんの編集である。アーカイブの物質性がよく伝わってくるだけでなく、テーマごとによく整理され、丹下の刊行論文と適切に配置されている。だから編集者の恣意性がほとんどないようだが、しかし丹下の撮影意図がよどみなく伝わってくる。

すでに公表されたものもごくまれにあるが、ほとんどは初公開である。しかもコンタクトプリント(むかしはベタ焼きといわなかったか?)であり、丹下がなにに注目して写真をとっていたかがよくわかる。

ある意味であたりまえだが、丹下は建築の全体像をシステマティックに撮影していたのではない。テーマを決めたうえでそうしている。たとえば桂離宮では、テクスチュア、開口(とその光)、石、といったぐあい。チャンディガール政治局では、妻側壁をすこしずつ角度を変えながら撮影しているが、そのとき絞りをも調整している。私見では、インドでは光がつよくすべてがハレーションをおこしているように感じることがある。そのハレーションそのものを記録しようとしたのではないかと思える。あるいは都庁舎ではバルコニーがさまざまな角度から撮影されているが、これはフランス語で言えばブリーズ・ソレイユにおける光と影のコントラストを記録しているような気がする。

もちろん桂離宮ファサードでは、屋根を排除して、構成そのものを撮影しているのではあるが。それは通説である。だからモダンである丹下、という岸田日出刀『過去の構成』的な説明である。しかし屋根を排除したことにより、じつは、地面がクローズアップされている。これが空撮で敷地全体をとることと相関しているかどうか、論考してみると面白い。

個人的に興味深いのは図録63頁の写真である。岡田信一郎明治生命館が近景に、丹下の都庁舎が遠景に撮影されている。これも都庁に近い場所から、しだいに遠ざかり、皇居の緑のなかまでわけいるという30数枚におよぶ連続的な撮影となっている。古典主義とモダンの対比、あるいは内なる古典主義の気づき、あるいは古典とモダンが共同して都市空間を構成することに意識、がうかがえる。そういう意味では、トリミングするなら17-19あたりがベターなのだが。

さて建築家による自撮り建築写真は、なくはない。しかしそれらはプロの写真家への指示のためであったり、たんなる仕事上の記録であったりするのがほとんどである。しかしこの図録で驚くのは、自作への徹底した「視覚的執着」とでもいうべきものである。なぜフィルムの時代に都庁のブリーズソレイユを70枚も撮影しなければならなかったのか。それは丹下のなかに、なにか根源的な建築欲望があったからにほかならない。おなじ対象を角度や絞りをすこしづつ変えて撮影することは、だれでもあるが、そのとき、撮っても撮っても対象を獲得できないという焦燥を、たいがいのひとは経験したことがあるはずだ。それは視覚的な欲望、渇きとでもいえるものである。

さらにいえば、建築家自撮り写真における「視覚的執着」は、一般化すればどういう説明がふさわしいか。それは、自己を撮影する、自己を見る、自己を意識する、自己を志向するという、人間のありかたそのものである。メルロ=ポンティはそれを、人間は(自分の手や下半身を見るとき)視覚の主体であるとどうじにその客体であるというわかりやすい図式をだして、デカルト的な心身二元論を克服しようとした。

丹下の自撮り写真は、おそらくは本人は無自覚のまま、この構図をなぞっている。そしてそれはたんに自己愛などという低俗なものではない。建築自撮りは、そこに鏡像関係が内包されているがゆえに、ある普遍的な課題にわたしたちをいざなう。

じつはこれとふかく関連するテーマで、すでに原稿をしあげ、出版社にわたしてある。運がよければ12カ月以内に出版されるかもしれない。そうなればTANGE BY TANGEはぼくにとって運命の展覧会になるかもしれない。