伊藤ていじ『日本デザイン論』

3年生の演習課題にとりあげた。1章を読んで、内容要約などをふくんで、プレゼしてくださいという課題である。読書もし、設計のためのコンセプトを練り上げる練習である。学生たちはしっかりプレゼし、説明していた。

とはいえぼく自身、ほとんど30年ぶりに再読することとなった。

これは伊藤ていじが1963年頃にワシントン大学客員教授として教えていた、その授業の内容にもとづいている。これはかの有名な『日本の都市空間』と平行した作業である。結界、間、シンボル、界隈などそののち日本の建築界を支配するような重要な概念がつまっている。

全体としては、華道、茶道、日本庭園、日本建築史など日本文化をしっかりふまえながら、それを西洋的な概念によって説明しようというものである。間をイマジナリースペースとして訳すなど。たんなる機械的翻訳ではなく、異文化との違いをふまえたうえでの吟味した翻訳がこころみられている。建築界の鈴木大拙といえようか。『禅と日本文化』なども英語によって理解した日本なのである。

ただそれでも今日の視点からすると、西洋的枠組みはまだ弱いような印象である。70年代以降、日本の建築論のバックボーンも、マルクス主義の支配も目立たなくなり、構造主義記号論脱構築・・・などといったいわゆる現代思想の用語が不可欠になってくるのだが、伊藤ていじはそれらにあえて言及しないというスタンスをとっている。おそらく70年代以降の動向について、彼はある選択、ある決断をしたのではないだろうか。

「間」を論じた章もおもしろい。主構造と2次構造の区別などオーソドックスな構法の話から、最後はきわめて抽象的な「間」すなわちイマジナリースペースでおわる。言葉をていねいに追ってゆくと、いたるところで飛躍し、不可思議な展開をみせる。ああそうだったのか、とこちらも歳のせいでわかった(ような気がした)。これは典型的な若書きなのである。おそらく伊藤ていじは「間」を、最終的な結論として、直感的にイメージし、つまりまだ「名付けもできない」ようなものとして、しかしそれが完全に「見えていた」のだ。その名付けられない見えている対象を、博識をもって、既知のものなら演繹しようとするが、なかなか整然とした論理にはならなくて、もどかしい。それが伝わってくる。

この「間」論を継承して、磯崎新は1978年の「間」展により世界を席巻するし、さらにANY会議、さらに最近出した『建築における日本的なもの』のなかで、間とはプラトンティマイオス』におけるコーラであり、さらにそれらはサンスクリット語における共通の語源をもつらしい、などとまで示唆する。たいへん面白いのだが、そこまでゆくと、一種の総括であり、もう伸びしろはないように思えるのではあるが。

学生には『日本デザイン論』は3重に面白いよ、と説明する。

まず直線/曲線、天地人序破急、真行草、それから上述の界隈、間、結界など、日本的でもあり普遍化できる文化論をコンサイスに詰め込んだ本書は、教科書である。教養がつく。概念を展開すれば、設計にも有用である。

つぎに20世紀の状況をしるために読める。日本が、中国文化からの影響を捨て去り、日本/西洋の枠組みで文化を再構築しようとした、そういう20世紀パラダイムが読み取れる。

最後に、読者は自分の論理に引き寄せて考えることができる、よいお手本としてである。伊藤ていじ自身が領域横断的に、東西横断的に、かつ普遍的枠組みをめざして論じているのだから、客観性はひとまずおいて、創造的誤読も許される、自由なテキストとして読めるのである。

さてこの書の最終章は「運動の視覚化」について、である。回遊式庭園などに触れていて、文学との相関が、シンボル空間の例として示される。しかし全貌が見える点はない、運動が必要などという論理は、ヴェルフリンのゴシック建築論、ギーディオンのバウハウス校舎解説と、構造がまったく同じである。

ここでもああそうか、と気がつく。彼はギーディオンの『空間 時間 建築』のむこうをはっていたのだ。ギーディオンも戦後、アメリカに渡り、近代芸術の概念で建築を教えた。伊藤ていじがワシントンにゆく、ほんのすこし前である。そこではあたらしい時間/空間の概念が建築の導きの糸となった。伊藤ていじがそのことを知らなかったはずがないのである。