花田佳明『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』

花田さんから送っていただいた書籍が、今日、自宅にとどいた。ありがとうございます。さっそく一読した。

第一刷発行が2011年2月28日であるから、その10日ほどまえに書評を書くのもおつなものであろう。

彼が愛媛県のある建築家に注目していたことはずっと知っていた。彼が研究をするきっかけとなったのは、1994年の四国建築建学ツアーであったが、ぼくもいっしょにこないかと声はかけてもらったはずであるが、なにしろ当時のぼくは赴任したてで月曜から金曜まで毎日授業やら演習やらがあるという状況で、ほかの大学の先生はいいなあなんて思っていたようなことで、丁重でもなくお断りした記憶がある。

本書は発掘した膨大なドキュメントをバランスよく分析して配置した、どちらかというとドキュメンタリー仕立ての建築家モノグラフである。建築理論的な分析はむしろ抑制されてる。だからぎゃくに、松村の世界にすっとはいってゆけるという好著である。

2011年の時点から松村正恒を回顧すること。それはノスタルジックなことであろう。本書では、正しく、建設的にノスタルジックであると思う。1956年生まれの著者が、同年における蔵田周忠と松村との交信を詳細に紹介するくだり。それは人が、自分の生まれ出た世界を解明しようとしたときに必然的に構造的に生んでしまうロマンティシズムでありノスタルジーである。たとえば1950年代は、戦前の近代化の流れがあり、しかし高度経済成長はまだという過渡期であった。花田さんと同い年の同窓生であるぼくにとっても、それは生まれ出た世界である。それを解明しようとするノスタルジーはなんら恥ずべきことではない。それは客観的で生々しい事実である。だた失われた過去なのでいろいろと再構成の努力が必要である。

1950年代生まれは、すこしばかり社会的正義のようなものの影をひきずっている。すこし後の世代は、もっとはっきりビジネス・コンシャスである。もっとくだって今の学生は、完全に斜陽国日本がインプットされている(本人たちは自覚がないが)。それぞれの時代はそれぞれの世代にすり込まれるのであり、近過去はすべて生きている人口構成のなかにプリントされている。それが歴史を読むときのおもしろさである。

本書には、花田さんの松村正恒への切ないばかりの共感があふれているので、読んでいるぼくもすこし切なくなったりする。若いときから師とあおぐ大建築家への態度とはまったくちがう。花田さんは人を教える立場になって、自分を確立してから、松村正恒に出会った。そして大げさにいえば、そこに自分自身を発見したのである。ある他者を観察することで、ますます自分自身がわかってしまう、そのようなトリッキーな時空のなかで、むしろ「もうひとつの自分自身」のようにドキュメンタリーを書いてゆく。ある意味で「建築家のパラレルワールド」なのだ。建築のプラン、仕様、構法、ディテールをこまかく書いてゆくのも、松村の仕事をすみずみまで、もうひとつの世界のどんなニュアンスも逃さないという態度でのぞんでいるからであろう。

松村正恒は日本の近代建築のまっただなかで修行をして、東京、満州、そして愛媛で活動をした。彼は主義やメディアのためではなく、まさに建築のために建築したような建築家であった。そのように解釈してなにが悪いのだろう、と個人的には思う。

共感するがゆにあえて書くけれど「結論」はまだいらないのではないか。とくに「主義」との関連をつけなければならない理由はないと思う。詳細な分析からあきらかなように、松村正恒はいわゆる建築界・メディア・論壇のなかで用意されていた類の「主義」をいちど払拭した建築家であった。それを花田さんがいろいろな主義を定規にして当てはめてようとしているのが、ぼくにはよく理解できない。もしほんとうに「建築」に可能性があってポジティブなものであれば、頭のいい人びとが構築した座標軸である様式や、主義や、理論などからすこしずつずれていっていくはずである。

松村正恒は色見本にきちんと整理されてしまう色である必要はないと思う。ぼくは具体的な建築の姿や、交流や、発言かなどから織りなされる空間いや宇宙があって、結論などまったくいらなくて、その豊かさがもっとも雄弁に自分自身を語っているような、そういう建築語りがそろそろ誕生する(じつは誕生しているけれど歴史的事実として確認するのはずっとあと)のではないかなんて思っている。