山本理顕『建築空間の施設化』を読んでみる

ヴァーチャル初詣?も済ませたので、すこし硬派なこともしてみよう。昨年末『atプラス』6号が送られてきて、山本理顕さんの論文がなにか年越しの宿題のようなものになっていたので、すこし考えてみる。

この論文は思想の表明である。これまでも彼が主張してきたことを、より広いパースペクティブで整理し、さらに思想としてしっかり構築している。ペブスナー的なビルディングタイプを、その出現を明らかにするだけでなく、その背後に国家的官僚的プロジェクト、アーキテクトの職能の仕組みを明らかにしている。そうした制度やプロジェクトは、最初は理念や文書であっても、最終的には空間として描かれることで完結する。だから空間を手がかりにすることでも、近代のプロジェクトの全体にかかわることができる。そこには建築の「希望」と「責任」という2面性をいっきょに引き受けようとする山本さんの思想が見える。そしてそれはまったく一貫している。

さてさらに山本理顕さんと難波和彦さんの比較論をしてみよう。

(1)山本さんは「地域社会圏モデル」において19世紀と20世紀を背負おうとしている。

さまざまな産業やコミュニティモデルの新たなる展開を視野にいれたこのモデル探求は、私見によれば、19世紀のユートピアンの系譜に近い。もちろん単純な回帰ではない。しかし科学的社会主義に駆逐されたことになっている、いわゆる「失敗した」空想的社会主義のいろいろなこころみのなかに、まだ探求されないまま放棄された可能性がけっこうあるのではないかと思うことがある。なにしろ具体的で細やかないろいろな工夫は、労働、階級、貨幣といったメタレベルのものによって無価値として追放されたのだが、もういちど具体的なものに立ち戻って探求を再開してもよいのである。

18世紀後半に市民革命と産業革命がおきて近代社会が形成されたが、19世紀はその近代社会システムをさまざまなかたちで探求しながら、ゆたかな実験は数多く残しながら、結局はひとつのモデルをつくるには至らなかったが、20世紀はとりあえす普遍的モデルを構築した。フォーディズム社会主義、都市計画(学としての都市計画は20世紀初頭の人工的構築なのである)、そして近代住宅である。

しかしこの20世紀モデルは、山本さんが指摘するように、きわめて官僚的であり、1家族=1住宅モデルもすでに社会的絆としてオールマイティではない。

歴史家の立場から、山本さんのアプローチを解釈すると、20世紀的パラダイムを根本的に批判しながら、19世紀のあるものを再評価しようとするが、単純な過去回帰ではなく、19世紀と20世紀の全体を遡上にのせながら、あたらしい21世紀の可能性はなにかを探求している、とお見受けした。

それはさておき、19世紀というのはけっこう面白いのである。近代都市計画がまだ成立していない時代、それでも都市開発行為はあった。通常それは無秩序な、とされる。しかし都市計画は不可欠とする現代人の視点がそう判断するだけであって、街や共同体を構築する人びとは、文化をテーマにしたり、新しい社会像を構築しようとしたり、個人レベル、民間レベルでそんなことを考えていた。

山本さんのアプローチは回顧的なものでないにもかかわらず、とにかく自分たちの手でなにかを構築しようという指向が、19世紀のいろいろな試みに光を再照射させるのである。そのようなかたちで19世紀と20世紀全体を背負おうとしているのである。

(2)難波和彦さんの「箱の家」は20世紀を背負おうとするものである。

もちろん東大・池辺陽研究室の1950年「立体最小限住居」がスタートなのであるが、「最小限住宅」そのものは20世紀初頭のCIAM的理念である。それらは20世紀全体の思想の表明であろう。

CIAM「最小限住宅」はよく床面積の最小限のことと誤解されているし、初期の言説にもそれが示唆されているかもしれないけれど、大きな歴史的流れからいったらそうではない。それは近代住宅はどう定義されるか、そこから住宅必須のアイテムはなにか、について先進国内で共通の了解ができたうえでの、「ミニマムな要件を満たす住宅」なのであって、けっして「床面積が最小限」という理念なのではない。ようするに19世紀、いろいろな住宅があった。共同住宅、労働者住宅、業者のつくった劣悪住宅、篤志家住宅、宗教団体住宅、ほんとうにさまざまであった。それらの多様な試みのなかから、19世紀末から20世紀初頭にかけて、公共住宅というまったく新しい住宅形式ができた。「公共住宅」とは、国や自治体が手がける住宅という意味にはとどまらない。まず住むのが労働者やブルジョワや貴族といった階級をとくに意識しない一般的な「市民」であり(とはいえ実質的には中産階級)、そういう意味で普遍的な人間像を想定し、その普遍的人間が受容する普遍的住居の要件が定められ(電気・ガス・水道、サニタリー、プライバシー(個室)、団欒(居間))、それらのミニマムな要件を満たすものが最小限住宅なのである。

池辺研の立体最小限住宅は、邪推すれば、CIAM的なものに、ル・コルビュジエのアトリエ・ハウス的な吹き抜けと、木造二階建ての戸建て住宅という戦後民主主義日本の現実をミックスさせたようなものであろう。

もちろん20世紀的な「一般的市民」はむしろいまや少数派であり、過去の遺物かもしれない。しかし伝聞によれば、「箱の家」の住人は典型的な一般的近代家族というよりは、それぞれ課題を抱えた家族なのだそうで、施主自身が家族形態と空間のギャップを認識し、むしろそのギャップに希望をいだくといったような、じつに複雑なことになっているらしい。

ぼくは「箱の家」第1号を内覧会で見学したという光栄に浴しているのであるが、印象的だったのはそのオープンさであった。吹き抜けの居間、庭、道路まで空間としてはシームレスにつながっている。閉じこもり、引きこもる近代家族など想定されていないかのようである。そのことが「近代住宅の施設化」そのものであるかのような箱の家を、そうでありながら、なにかまったく別なものにしているのではないか、と思う。

(3)時代を背負うということ

ぼくはべつに、2世紀を背負おうとしている人のほうが、1世紀の人よりも偉いだとか、その逆だとか、そんなことをいっているのではない。ただ現代の建築家にも歴史性はある。歴史とは過去のことではない。歴史がほんとうに歴史なら、それは古代から現代にまでシームレスに繋がっているものだし、現代建築家のなかに歴史性を発見するのが歴史家の勤めなのであって、比喩をもって人を煙に巻くような話しではないのである。意地悪く言うと、歴史家としては、現代建築家をみるときに、このお方はどれだけの時代を背負っているのかな、というのを考えることがある。べつにこびているのではないが、それでも現代建築家は(現代歴史家もすこしばかり)歴史をその最先端で展開しているその主役なのだし、現代のなかに歴史性を見いだそうと努力するのは歴史家の仕事のちゃんと一部である、と思うことがある。それは「務め」なのである。