陣内秀信・高村雅彦『建築史への挑戦』鹿島出版会2019

 著者さまたちから春先にいただいたのだが(ありがとうございました)、落ち着かない日々が続いてつい読みそびれていた。さらに大学退職にはじまり福岡から横浜への転居という雑務がつづいて読書どころではなかった。ただ段ボールを荷解きしながら、つい逃避的に読んでしまったのは、建築史にどう取り組もうかというぼく自身の再起動イシューのゆえというものであろう。
 陣内さんからみると、ぼくは生まれ年で9年後輩であり、学年的には10年下かもしれない。その陣内さんの大学退職記念の書を、出版されてすぐ、自分自身の大学退職とからめて読むのだから、比較論としては面白いかもしれない。しかし業績的には比較にならない。
 この書では対話、あるいは対論形式で彼の重要なテーマがほぼ網羅されている。イタリア都市再生、ティポロジア、空間人類学、水都、中国都市、イスラム都市などである。研究史的には伊藤毅福井憲彦の論考によりその位置づけがわかろう。また高村雅彦のサマリーも簡潔にして要を得ている。
 ふりかえってみれば東大の建築史学研究室は研究職につくためにオーバードクターを使い切り長居するという伝統があるので、年齢的には師弟ほどちがっていても、ゼミや勉強会でおなじテーブルを囲む機会があったのは幸運であった。それは1年ほどの短期間であった。それでもぼくの陣内さん理解はそのときにほぼ完成していたように思う。それを桁違いに増量すれば、この書となるというもののようだ。
 この書で陣内さんがデカルト的な北方の知にたいして「南方の知」(p.54)と自称するように、理論、構造をわきまえながらも、その変奏が無限につづくというスタイルが特徴的である。ぼくは40年ちかくまえ「ああ陣内先輩はいわばタガがはずれた(はずした)人なんだな」とつくづくおもった。それは10年先輩のこの大兄が、ぼくより5年年長の小兄にアドヴァイスをあたえているときに感じた。つまり凡庸な人間は、自分の課題や方法論により自覚しないで自己規定してしまい、発展できなくしてしまうのである。そのような後輩に無限のアドバイスを与えることで、ますますその後輩に劣等意識を植え付けてしまうのであった。
 陣内さんはたんに興味の幅がひろいとか、いろんなことに反応できるとか、人とすぐ友達になれる人たらしだ、だけではない。彼独自の、しかし普遍性のある研究者スタンスがあるのである。それは彼自身は明言していないようだ。しかし次のようなことであろう。研究者としての自分×研究対象、という固定的なフレームを考えない。自分自身さえフレキシブルにしてしまう。すなわち「研究者である私」をも変数X(エックス)とすれば、研究とは「研究者×研究対象×方法論」というすくなくとも3変数の積としてきわめて多様化できるのである。そのような構図で彼は、自分の後輩たちにもアドバイスを与えていたのである。
 ぼくも、それと近い発想はもちろんもっている。大学院学生に研究上のアドバイスとして、査読論文を読むときは研究対象を解明するだけでなく、執筆者=研究者をも解明しなければならないとアドバイスすることにしている。つまりある研究者が、この問題意識から、この対象やアーカイブを、この方法論で分析して、しかじかの結論を見いだすという、このプロセスを追体験的に学術論文を読まねばならない、といつも説教をしている。研究を読むのではないく、研究者を読むのである。研究対象の説明を読むのではなく、説明がいかに書かれたかを読むのである。(ひょっとしたらこれが「都市を読む」の極意かもしれない)。ぼくはごく僅かの数の研究者しかそだてなかったが、この方法なら、研究者は自分自身などという固定点をはずして研究することはできる。自分はどこか?研究が完成したのちに再構築すればよいのである。陣内さんに優れた弟子が多いのはその方法論のおかげかもしれない。
 これはどういうことかというと、近代日本と日本人研究者たちを悩ませていた、日本(人)的アイデンティティなどという問題をはじめからないことにできたのである。ご本人は、いや東と西を比較して・・・・などとおっしゃるかもしれない。しかし悩みが自己抑制にならないという点が重要なのである。であるから海外の動向にもタイムリーに対応し、つねに現代的でありうるのである。
 いわば研究歴的な本書において結論らしいものがあるとすれば高村の「経済から社会へ」、は各分野でそのような声は聞こえるから、読者としてとくに異論はない。たぶんそうであろう。
 では陣内論としてはどうか?東京の空間人類学のときに皇居を論じていないという欠点を指摘されたそうである。いいかえれば陣内都市史学には「超越」がとらえられないかもしれない。それは市民の日常生活のなかにそのような超越的なものが毎日、登場して自己主張するわけではない。しかし、もし社会を論じるなら、それは日常や都市組織をこえたものとして登場することに留意しなければならない。すなわち19世紀に社会学が登場してきた経緯をふまえれば、社会とは人間の算術的な総和をこえたところに出現するのである。陣内都市史学はそれをどうとらえるのであろうか。というのが目下の注目点である。それを世代的な祝祭論などで解かないでいただきたいものである。またそれを考えればポスト陣内もけっこう容易にみえてくるのではないだろうか。