山本理顕『脱住宅』

3月初頭にはいただいていたので、遅いお礼となりましたが、ありがとうございます。

 

保田窪いらいの集合住宅プロジェクトの作品集でもあり、時系列でプロジェクトをみながら、専用住宅批判、1住宅=1家族批判を展開する。作品の歩みがそのまま理論の歩みになっており、かつ30年にもおよぶ世の中のながれも含んでいる。そういう意味では、シンプルなようで、いくつかの糸でなされた織物のような書である。

 

都市計画とくに用途地域制や、学校社会化などの国家政策はもちろん、国家による社会構築なのだし、国民を「家」単位で管理しようしたのももちろん政策意思であろう。住宅政策、住宅のプロトタイプ化もおおきくはこの路線にそったものである。これはご指摘のとおりである。

 

そこでコミュニティティなり、アソシエーションなり、いわゆる地域社会や共同体などといろいろな言葉でいわれるものだが、基本的にはこれらは両義的なものであろう。つまり行政的に上からそれらがつくられることもある。同時に、自然発生的に、あるいは古い時代の人的組織の継続などにより、いわば下から構成されることもある。社会学者たちもおそらくその両方にかかわっているはずだし、「社会」なるものは社会学による発明だ、などという指摘もされる。

比較論的にいえば、西洋における上記の意味での社会構築は、しかるべき思想の表明があり、それが翻訳されて制度になるという、わりとわかりいいプロセスがみられる。しかし日本では、それが政治ではなく行政というわかりにくい世界でなされるような傾向があり、批判する人は多いのだけど、ではだれが批判されているのか、よくわからないところがある。吉武泰水を批判したってしょうがないと思うこともある(標準化は時代課題だったのだから)。それも日本的だといえばそれまでである。

「閾」概念は30年前は公私の関係づけというか、なにかバッファゾーンにような意味合いであったが、そののちのプロジェクトでは、イギリス的なコモン、あらたな、より積極的意味を与えられた地域空間、生業空間などになってきている。

おおまかにいえば山本さんの30年のあゆみは、当初、公私の関係づけのためにどちらかというと理論的に創案(あるいはサーベイで観察した)した「閾」概念を、概念として発酵させ、時代の変化に対応させて成長させてきたことであったといえる。公私の関係は、いわば終わりなき課題である。だから山本さんの「閾」論とは、空間図式による固定的な解法を提案したものであったというより、その終わりなき課題そのものの存在を顕在化させることに重要な意義があったと思える。

空間帝国主義と揶揄されていたころから知っているが、そういう意味で、結局いちばん柔軟であったのは山本さんとその図式であったことは、明らかである。