パリがオリンピック開催立候補?(前稿つづき)

報道によると、大統領が勝手なことをのたまうので、下のものたちは当惑しているようである。

ここで注釈すると、パリでは革命直後の10年間に、三度、「共和国のオリンピアッド」を開催している。古代ギリシアを模範とするのは、革命理念、共和国理念の表明であった。だから社会党の大統領がオリンピックにこだわるのはスジがとおっている。クーベルタンの提案の背後にはそれもあったのであり、彼は英米における体育教育に関心があったが、とりわけ第三共和政のスポーツ振興政策の立役者でもあったのだ。

それはいいとして、まずパリ市長は2025年の万国博にほうに関心があり、オリンピックはそれほどではないらしい。なにしろ1889年、1900年の万博はそれこそパリの栄光であった。それをひさしぶりにやる、そちらのほうがパリとしてはアピールできる。だから大統領と市長はかならずしも一致しているのではない。

パリはすでに1992年、2008年、2012年のオリンピックに立候補してことどとく負けている。首都圏では1924年いらいやっていない。

冷静な経済分析。プレスは、前回ロンドン大会では収益性を考え、インフラも都市整備の一貫としていたが、それでも最終的には赤字ではなかったかと分析している。「1990年代以降は、オリンピック投資は回収できないものとなった」と分析している。つまりオリンピック=都市整備、という20世紀的構図はもう成立しない。

いっぽうで2024年あるいはそれがだめなら2028年のパリ・オリンピックは、2012年案のようなものにはならない(失敗したから見直しは当然だが)、一種の未刊の「グラン・パリ」計画となるだろう。ようするに「首都パリ」ではなく「イル=ド=フランス地域圏」のようなものになるかもしれない。とすれば都市が立候補という構図もくずれる。

などという報道を読むと、やはり前稿のように、近代都市を念頭に置いた近代オリンピックという構図そのものが崩れはじめているるとしか思えない。もはや国民国家の首都経営というような図式が古くさくなっているようだ。だからここで妄想を膨らませてもよいであろう。グローバル資本をむしろエンジンにする。統合ヨーロッパとその首都を母体として、国家連合が経営する。あるいはイスラム諸国が、オリンピック経営のために臨時のイスラム帝国をつくって(西洋はあわてるだろう)開催する、などである。

近代オリンピックが、冷戦もふくめた戦争の圧力にはときに屈しながらも、永続したのは特筆に値するし、近代都市の成立基盤はそれだけ堅固であった。これからはその堅固であったものが弱体化してゆくということか。

さてパリびいきとしては、この都市は100年ごとに熱くなる。革命直後、古代風にスポーツしてみた。第三共和政の時代、1890年にはオリンピックと万博をやり、エッフェル塔までたてた。さらに1924年にオリンピック(パリとシャモニ)、25年にアールデコ博をやった。同時開催はパリの栄光という意識でもあるのか?さて21世紀は、100年周期説にしたがえば、なにかやってくれそうだ。おおいに期待しよう。でも理念的根拠はなにかな?