奈良でジョギング

ジョギングというのは合法的な麻薬であり、脳内物質が分泌されるそのハイ状態に達するコツを学習してしまうと、健康のためというより密やかな悦楽にちかくて、なんか後ろめたいなあ。

ジョグ環境は大切。自宅周囲では数種類のコースを用意している。たとえばO公園は一周2㎞の有名なコースで、これはこれでぼくのメニューのひとつであるが、月に一回ほどしか走らない。結局、ほとんどベストコースであるM海岸沿いを走る。なにしろ海と松並木があるのだから、これはもっとも恵まれたコースのひとつであろう。アーティフィシャルな環境で、埋立の砂浜、高層ビル、高層マンション、戸建て住宅地、松林、ビーチバレー、水平線、夕日・・・・すべてが人工的なわざとらしい空間なのだが、じつはジョギングには最適であると感じている。うそっぽい空間はそれはそれで好きなのである。

ああとめどもなく脱線してしまう。

最近、奈良市内を2回ジョグした。

一回目は50分で7.5㎞ほど(スロージョギングである)、いわゆる奈良町をおおきく取り囲むコースであり、グリッドに沿っておもに市街地を走った。グリッドは均質だが、けっこう傾斜は急であり、旧奈良町における棲み分けをいまだに反映してか、そもそも昔から微地形が都市の生態系に影響をあたえたか、標高の高い地区にはリッチな戸建て住宅が多く、低い場所には住居+商業混在建物がおおいことに気がつく。歩く2倍ていどのスピードだと、おおまかな観察ができる。町歩きのスピードに比例して、観察のレイヤーも違うのである。

二回目は60分で9㎞ていど、市街地半分、奈良公園半分であった。一の鳥居から春日大社に途中までアプローチし、暗くなったので引き返し、興福寺あたりを細やかに走る。鹿が多いので注意はしていたのであるが、暗がりのなか、10頭ほどがいっせいにダッシュするのは、正直、迫力である。そんな鹿たちは車道という概念がないので、平気で横断し、一頭が、すぐ目の前で、車にはねられた。運転手の悲鳴まで聞こえた。ただ直前の急ブレーキがよかったのか、鹿はなんとか立ち上がって移動したようで、道上に鹿がころがっていたようなことはなかった。

あとで調べると、奈良公園をジョギング中に鹿に襲われて亡くなった人もいたそうで、ああ怖い。もうしません。若い頃、中近東の古代遺跡を見学中、狭いところで巨大な牛とすれちがったり、レンタサイクルで移動中にどう猛な犬においかけられたり、テロや戦争も怖いが、動物もそうである。

走って感じるのは都市のスケール感であろう。古代ローマの計画的都市は体感的なスケールはむしろ小さい。街区ブロックもコンパクトである。それにくらべると平城京平安京はむしろ茫洋としているが、じつは走るのにはあっているということがわかった。1分で150メートルていど移動するスロージョガーにとって、500数十メートルというのは飽きのこないスケールなのである。フランスの17世紀あたりの庭園では、運河やテラスなど、1.3㎞から1.7㎞あたりのスケール感で設計されているのがわかる。フランス式庭園だと10分が単位のランということで、これは快適なのかな?歩いた経験では、あれは馬車や馬のスケールなのであったのだが。

なぜ奈良かというと、去年からちゃんとした古建築見学ツアーということで学生を引率しているからである。20年ぶりのお仕事であり、今回も慈光院大神神社当麻寺浄瑠璃寺東福寺など生まれてはじめて見るものも多く、清水寺の修理現場などもよかったし、引率しているというより引率される方なのかもしれないが、脳のなかのいつもとは違う場所をつかうということはとてもいいことである。カウントダウン的年齢に達したので、計算すれば簡単で、教育者として気合いいれて日本建築をみるのはあとマックス20日ていどであって、一日々々を大切にしよう、と思ったりする。

それはそうと見学ツアーのあとは、むしろ軽いジョギングをしたほうが疲れはとれることはわかったが、鹿にも車にも襲われず、見どころも計算したジョグコースのスタディというのは、それはそれで都市リーディングではある。WEBでしらべると、旅ランというらしい。詳しい人も多いようだが、後発のぼくとしては、とりあえず京都、パリなんかを征服したいものだ。