渡辺真弓『イタリア建築紀行』平凡社2015

渡辺先生よりいただきました。ありがとうございます。

パラディオについての主著を書き上げたあとの、肩の力の抜けた一冊である。サロンで紅茶をいただきながら、お話をうかがっている気がする。

イタリアの七都市とその建築についての大学講義的な解題、ゲーテの『イタリア紀行』の紹介、ご自身のイタリア旅行記が、リズムよくモザイクを形成し、ここちよい。たぶん脳の違う部分をそれぞれ使うからであろう。ぼく自身のこのみでいえば、ご自身のイタリア紀行がいちばん面白いのは、同業者だからであろうか。ヴィツェンツァで小説家にあったり、パラディオ学会のこと回想されたり、あたりが面白い。現在が、パラディオの16世紀、都市の形成された中世などとみごとにオーバーラップしているからである。

ゲーテそのものでいうと、やはり柱フェチであったようだということと、ヴェネツィアのサンタ=マリア=マジョーレよりもイル=レデントーレがいいというのも、現代人と同じ感性である。16世紀のテイストは、それ以降変わっていないということか。思い出すのは、日本で16世紀といえば、茶の湯の創設期であり、それがナショナル・テイストとして存続する。これはあるていどは普遍的な現象なのであろう。

アッシジの聖フランチェスコにもご興味がおありのようで、その点についても共感できますと申し上げる。文献中では聖人をテーマとする映画2本について解説されていたが、それ以外に、戦争直後の白黒映画での『アッシジの聖フランチェスコ』はあったが、ぼくの記憶ちがいでしょうか。聖人といっても彼は、畏怖の念を感じさせるのではなく、かわいらしい愛すべき聖人として描かれており、それが西洋人のいだく聖人イメージなのであろうか、などと妄想にふける。

ぼくはつい、こむずかしくなるたちなので、このような学識に裏うちされたフランクさというのが、ぎゃくに、苦手である。ただ、いちどはやってみたいものだ。