ロス・バーンズ著松原康介他訳『ダマスクス 都市の物語』(2023)を読んだ感想

(1)まえがき
 本書を訳者の松原康介さんからいただきました。ありがとうございます。
 聖書にすでに言及されている都市ダマスクスの数千年の歴史を、内戦状態の今日にいたるまで述べている文献である。多角的な視点から描いている。戦争と平和、政治と国際関係、宗教と宗派、都市と建築などである。産業と通商はもっと書いた方がありがたい気もするが。ともあれ細部の面白さにとらわれれば数十巻にもなりそうな内容を本文400頁で概観できるのはありがたい。内容は多岐に及ぶ。ぼくはわりといっきに読めた。年の功で斜め読みも一気読みもまあまできる。内容をひとつひとつ吟味しているとそうはいかないだろう。

(2)著者について
 著者ロス・バーンズはかつて在シリア=レバノン・オーストラリア大使であった。1984-1987年の在任中から歴史遺産を研究していた。すでに1992年に『シリアの記念碑建築:歴史案内』を出版している。残念ながら1988年にシリア見学をしたぼくには間に合わなかったが。のちに古代都市の列柱街路にかんする研究で博士号を取得している。D論は2017年に出版されている。
 外交官が相手国のことを知るために歴史や文化を研究することはよくあることだ。個人的には駐日フランス大使ポール・クローデルを思い出す。バーンズはとくに建築に関心があったようなので、その記述はぼくのような建築史をやっている人間にはありがたい。

(3)訳者について
 編訳者松原康介さんは北アフリカ中近東の都市計画における若い第一人者である。ぼくは、日仏都市建築共同研究機構ジャパルシが最初のころ、京都で研究会を開催したおりに、松原さんと同席していた。その後ぼくは若き日の世界旅行を題材にしたブログ『東方旅行』をきわめて散漫に流していたところを、彼に発見していただいたようである。彼は、ぼくが不案内であるつくば大学の西アジア研究機構の一員であるらしく、その立場でその世界旅行について話をしてほしいと頼んできた。そこで、
 ---2021年1月28日に「地中海からの連想ふたたび—シリア編—土居義岳『東方旅行』の回想」なる発表をした。
 そうでなかったらまったく個人的な物見遊山で終わってしまうものを、いちおう研究のなかに位置づけてもらえたので、ありがたい話であった。

(4)読者(ぼく)について
 ぼくはダマスカス(ダマスクス)を1988年1月に見学した。いうまでもなく、個人的ないきさつはとるにたらないものであった。
 むかし、バックパックをかついでの世界旅行は、すくなくともぼくの世代にとっては建築を学ぶための必修授業のようなものであった。なにしろ地球の歩き方がまだ分冊でないころから知っている。大御所となられた藤森さんや布野さんがこれからはアジアだと宣言していたのを憶えているほどである。そういうことでフランス建築を研究するにしても、大前提としてグローバルな視点は不可欠と思っていた。そもそもフランス古典主義を勉強するなら古代ギリシア・ローマ、それらを刺激した古代オリエント地中海世界を知っておくことはまったく初歩的な常識であった。三宅さんも若くて、建築見学は命がけするもの、などとハッパをかけられたのも思い出す。
 そんなこんなでフランス留学帰りの道すがら、5ヶ月かけて北アフリカ、中東、トルコ、ペルシャ、インド、東アジアをみてまわった。ダマスカスを拠点として周辺の都市や遺跡を日帰り見学もした。それを洒落で『東方旅行』とした。若気の至りとはこのことであろう。伊東忠太はひたすら西に向かった。だからぼくは逆方向で地球を回ることに意義があると考た。ル・コルビュジエの『東方紀行』を気取ってもいた。とどのつまりは偉大な先人たちのパロディを演じるだけだ。シニカルなのであった。まじめにグローバルなんかやるものか笑。
 留学の帰りにより根底的に建築とはなにかを考え、研究対象であるフランス建築を相対化しておくための基礎作業のつもりであった。よくもわるくも回り道であった。D論は遅れた。出世に響いた。長い人生で損失は回収するつもりであった。うまくいったかどうか。ただそれを補ってくれるのが地中海世界、中東のこの地域がもつ、建築そのものの魅力と吸引力なのである。見てよかった。後悔はしていない笑。

(5)アイデンティティではなくバランス・オブ・パワーの都市史
 フランスの地方都市に関心をもっていたころ、地方の中核都市を訪れるたびに、公共図書館や書店で文献あさりをしてきた。そこでは実体として都市史なるジャンルがあるという感覚になる。もちろん○○市史という史料編纂に近いものは、日本にも多いが、それともちがう。すなわちせいぜい数百頁の分量で、多面的に都市の歴史を論じ、ひとつの都市を実体としてうかびあがらせ、そのなかで建築や空間にかなりくわしくふれている、むしろコンパクトなパッケージとしての都市史文献。ぼくの体験では、18世紀においてすでに考証学考現学的なものとしてすでにあり、19世紀には地方学会の叢設とともに都市をひとつの総体として描く文献は多くなった。それが地方自治文化財政策を知的にバックアップするものとして機能した。こうしていわゆる都市史ジャンルが確立した。それが20世紀にもつづいている。そういう印象である。一般的に19世紀の都市史はロマンティックであり叙事詩的である。20世紀のものはもうすこしアカデミックである。
 拙訳ラヴダン著『パリ都市計画の歴史』は内容豊富すぎて一冊には収まらない例である。おそらくだれも注目しないCharles Higounet著神田慶也訳『ボルドー物語』は都市史文献としては専門性への没頭はそこそこにしているバランスのよい本である。
そうしたぼくの読書体験からすると『ダマスクス』はむしろ19世紀的な文献である。
 1990年代日本におけ都市史研究ブームにおいてすでに日本と西洋という対立図式を超えた都市史研究はなされている。イスラーム都市の都市性にかんする議論もそうであった。とくにワクフという贈与システムに注意がいった。
 研究ブームの当事者たちにどれほど意識があったかは知らない。しかし背景として、日本には近代化と西洋化への批判がすでにあったのと、1978年のイラン革命が、かならずしも西洋化におおきく依存することのない、文化の形成に関心がいっていたのである。だからワクフは、資本主義の論理に支配されている西洋都市とはことなるシステムとして注目されたのであった。世界は日本人が期待する方向にいったかというと、そうではなかった。世界はどうなったかというと、レーガンサッチャー以降の新自由主義経済は世界を単一市場にしたかにみえて、そのなかに次の分断と対立の芽をそだて、世界はやがて分裂し、争いはふえていった。そもそも資本主義は、恐慌や戦争といったシステムの破綻そのものをシステムのなかに内包するという荒々しいシステムである。
 現状のダマスカスにおける悲惨からバーンズが本書にこめた気持ちを推測したくもなる。外交官としてこの特殊な都市をどうみていたか、である。
 ネーション=ステーツを完成した国家なら、首都が国を代表し、首都をくわしく調べればその国の主流がわかる。すると政治・社会・文化を貫通するアイデンティティを探すことが記述の中心となる。しかしダマスカスなどの都市はそうではない。むしろ都市は数千年の歴史をつらぬいて存続し続けるが、その上位の機構、部族、民族、領主、王朝、国家、帝国、宗派は交代し続ける。
 すると歴史や文化を調べる大使にとり、都市はむしろ(バーンズはこの言葉は使っていないが)「バランス・オブ・パワー」のうえにかろうじて安定を求める、漂う存在なのである。そういうことでいえばディオクレティアヌスの防御線(p.129)は、ローマ帝国と東方とのふたつのスーパーパワーの狭間としてのシリアという政略的位置関係における死活問題である。これは20世紀の2大勢力の話とよく似ている。ヘラクレイオスとムハンマドをパラレルに描いてゆく(p.145)あたり、ビザンチンイスラムの平行関係が実感できて面白い。ペルシャとローマ、イスラムとビザインチン、キリスト教イスラム教という大勢力のはざまとしてのシリアでありダマスカスである。いわゆる歴史学の専門家が説く歴史よりもわかりやすい。宗教、戦略(ペルシアとの関係、防衛戦とパルミラ)、商業、民族(アラブ人とは誰か)。ローマとペルシアとの関係はいわば超大国うしの緊張、パックス・ロマーナと20世紀のパックスアメリカーナ、である。
 そのなかで「アイデンティティ」そのものがバランス・オブ・パワーの産物として相対化されて記述される。アラブ人とは誰か(p.138)、ヘレニズム的アイデンティティ(p.155)、「シリア」の定義(p.370)などをめぐる研究の紹介もそうである。ヘレニズムの長期的な退潮(p.187)も、むしろなかなか消えないヘレニズムというように読める。アレクサンドロスから始めれば、シリアの西洋化から再東洋化は1000年スパンの長期周期なのである。そのなかでなにが自己の同一性なのか。記述が詳しくなるほど「同一性」の危機がずっとあることそのものが同一性なのであるという逆説が成り立つ。
 バーンズはこうした記述のなかで、まさに外交官らしく「バランス・オブ・パワー」を冷酷に描く。「アイデンティティ」を重視すれば、共感的で優しい文章となるであろう。しかし筆者の冷めた目というか冷酷な現実はそうはさせてくれないようだ。
 ややこしいことにこのバランス・オブ・パワーは「アンバランス・オブ・パワー」をも含むのだが。
 そう念頭におけば史料が豊富な時代については、支配者や有力者の列伝のようである。書きやすい。読みやすい。古くさいスタイルだが、ニュートラルである。読者の関心に引き寄せやすい。建築パトロンとしてのヌールッディーン(pp.233-)などは面白い。

(6)重層性について
 さて、そういう都市の歴史はなんであろうか。正統的な歴史とは、哲学者ヘーゲルがいうような明確な目標(たとえば自由とか民主化とか)をもった流れである。それぞれの都市におけるアイデンティティの希求よりも抽象度が高い理念を目指すものとされる。ところがどのような歴史家が、ダマスカスのもつべき目標を定式化できるか。もう無理なのかもしれない。
 そう考えると訳者が注目する「重層性」とは、ヘーゲル的な歴史観ではないなにかである。そうのようにするしかない。それをもって新しい枠組みともできよう。しかしかならずしも幸福なことでもなさそうだ。「重層性」とは、悲惨な現実をも歴史の重みとして直視せよということなのである。それはかならずしも希望だとは感じない。
 基本的には松原さんの視点なので、ぼくはもうおまかせである。ぼくは、ささやかながらこの地域を見て歩いたので、重層性はまず目に飛び込んでくることであり、驚きではない。むしろ日本はなんて特殊な国なのだろうと思えてくる。
 たとえばローマ時代の水道インフラがイスラームの時代にも生きており、それが便利さや繁栄をもたらしている(p.294)のは感動的ではある。
 ところがぼくの個人的な建築観はへんなぐあいにできてしまったので、へんな重層性理解をしている。つまり建築はすでに古代で頂点に達していた。古代ギリシアで「美」は、古代ローマで「用」「強」は頂点に達した(近代は「強」をさらに向上させたにしても)。すると美術史家リーグルあたりが、ビザンチンをすでに衰退様式としたように、ルネサンスであろうがバロックであろうが、ぼくが研究した18世紀フランスの古典主義であれ、すべては衰退芸術である。近代もしかり。それらはさまざまな変奏にすぎない。さらに西洋中心主義的な見方では、イスラム建築はそもそも生きた芸術ではない、など微妙というかひどい文化論まであった。
 麻薬としての古典古代という発想はけっこうある。もちろん差別的なので言う人は少ない。その当否はおいといて、重層性をいうとき、すべてのレイヤーは同等の価値をもつという完全な平等と相対化なのか。それとも理想的でいちばん普遍的なレイヤーを想定するのか。あるいは研究者が独自の理念をもって、目の前の諸レイヤーの上位にその観念の層を置くのか。選択肢はこれからいろいろあると仮定できる。研究リーダーはどう考えているのだろう。

(7)参考文献について
 著者には失礼かもしれないが、本書でいちばん感銘を受けたのが豊かな参考文献リストである。2段組20頁で紹介されている。まず文献・論文数が圧倒的に多く、これだけで研究者にとってはありがたい。
ただ邦訳の有無は調べたのだろうか。邦訳がまったくないかのような提示なのだけれど。いままでの日本の研究者は西洋語文献や論文をほとんど読んでいないのではないかなどと邪推をうみかねない。どうなのだろう。読んでる人は読んでいるだろう。ヨーロッパのなだたる都市なら、参考文献のなかにすでに邦訳されているものが多少はあるであろう。しかしダマスカスにはそれがないか少ない。
 それからこれもたいへん失礼ながら、バーンズによる本文は一読するでよい。すくなくともぼくは、なんども読み返したり、行間を想像したりはしない。むしろ索引経由で別の研究者や原著を探し、読めば良い。『ダマスカス』はそうした参考文献のジャングルへの玄関、研究領域への道案内であると思えばよいであろう。
 この参考文献リストを概観すれば、どんな興味であっても答えてくれそうな先行研究がありそうである。すると遺構や第一次資料と格闘するのはもちろんよいことだが、先行研究を読むだけでほとんどのことはいえてしまう。問題は、研究者がいかにオリジナルで斬新な問題提起をしてあたらしい断面で文献を横断してゆくかということである。
 研究を展開するには索引、参考文献、用語一覧(グロッサリー)のほうが重要である。気がついたことをいうと、地名ではないが都市に「アレクサンドリア」があるのはよい。ところが人名に「アポロドロス」がないのはどうか。
 フランスには、フランス近東研究所(IFPO)(p.382)なるものがあって、いまだにこの地域の研究をリードしているが、そういう研究体制そのものの紹介が大切である。ちなみに講演させていただいた「地中海からの連想ふたたび—シリア編」でも、20世紀地中海世界の都市計画にかかわったフランス人建築家のリストとそのアーカイブ総覧をもたらした文献を、紹介した。そういう研究インフラの整備をするのもありだと思われる。
 ぼくはバーンズの業績を批判してはいない。本書をそういう研究パノラマとして活用すればよい。プロの研究者ならそうするであろう。

(8)ダマスカスの建築家アポロドロスについて
個人的な興味でいうとアポロドロス(p.108)が面白い。彼はダマスカスの建築家であり、トラヤヌス帝に招聘されてローマのフォルムなど公共建築を手がけるなど、大建築家といえるのである。翻訳された西洋建築史文献にもよく登場する。ところがあまり研究者は言及しない。『空想の建築史』でかるく言及しておいた。
 人名索引にはこのアポロドロスの名をとりあげていただきたいものだ。バーンズは、この古代建築家がアレクサンドリアで建築教育を受けたとしている。最近の研究の深化を反映しているのかかもしれない。ただこの短い記載ではなにもわからない。アレクサンドリアの図書館が知的センターであったのは自明である。ではそこに建築学校があったのか。教師はだれであったのか。学校における教育なのか、現場や工房におけるそれであったのか。そういうことがらを参考文献を読んで調べるのがよいであろう。
 ちなみに『空想の建築史』では、ウィトルウィウスもまたアレクサンドリアにいって文献を読みふけっていたとしてもおかしくはないと書いた。そんなことをふくめて、ローマ、ビザンチンイスラームを貫通してヘレニズム文化(ギリシア語文献で学べる建築学、あるいはそれを翻訳したもの)がいかなるものであったかを調べるのは歴史のロマンである。これからの研究者はそういう視野をひろげてほしい。ちなみに最近のギリシア哲学史においても、古代の哲学者は、ペルシアの哲学を学び、エジプトに赴いては石造技術を学んだという。建築家ならなおさらであろう。
 ヘレニズム文化の広がりと歴史的存続はなぜ面白いかというと、様式判定を基礎とする建築史学がどうしても分類のために時代を輪切りにして切断面ばかりを強調する傾向にあるので、それを中和した方がいいからである。

(9)アルノの文献とオスマン朝時代の都市
もうひとつ提示されている重要テーマがオスマン朝時代の都市計画である。オスマン朝解体ののちトルコはフランス人都市計画家アンリ・プロストを招聘してイスタンブール都市計画などを策定させる。しかし、それ以前すでにオスマン朝は「タンジィマート」という標語のもとに、みずから西洋化・近代化しようとして、それが都市整備に反映されている。これもすでに若手研究者は気づいているようだ。先行研究もあるので短期間で成果が見込める有力テーマである。
 ぼくが松原さんに呼ばれて紹介したのはJ.-P. Arnaud, Damas Urbanisme et Architecture 1860-1925, 2006である。これも参考文献にはいっているが、バーンズはほとんど素通りしたような紹介しかしていない。それはともかく、アルノの書は、オスマン朝「タンジィマート」のもと、ダマスカスの行政も近代化され、それが都市行政にもおよび、鉄道敷設や、都心部公共建築はおろか、住宅地整備の産業化まで西洋のレベルにちかいところまで発展したという興味深い事例紹介である。住宅地の都市組織、道路パターン、地割りパターン、住宅類型、中庭、窓類型などを豊富な図面と写真をもって紹介している。日本にも住宅地形成(郊外であれ都心部であれ)や住宅タイポロジーの蓄積は膨大にあるが、それらと直接比較できるレベルと情報量である。バーンズによる紹介は表面的にとどまるので、ただちにアルノ文献を読むべきである。

(10)最後に訳文について
 ぼくと松原さんとの長い友情に甘えてちょっと書くと、読みやすくはなかった。英語原文の構文(関係代名詞節など)がほぼ推察できるほど忠実に訳さなくともよいであろう。プロの翻訳家もそういっているが、翻訳は原文の再現ではなく、原文で書かれたことの再現である。

 なにはともあれ自分の専門とはならないものを、わくわくして読めたのは久しぶりであった。松原さんをはじめ苦労された訳者のかたがたに敬意を表します。