松村本書評へのコメントにこたえて

花田さんからコメントいただきました。いろいろ感じいりました。

『建築ジャーナル』誌の件があったころは、ぼくもかろうじて30代でした。今思うと、まぶしい感じがしますね。忙しかったなあ。毎日授業どころか、土曜日も演習がありました。いまや歴史的なものとなった奈良のオーセンティシティ会議にも招待されていましたが、なんと学園祭の見回り教員に指名されていて、いけませんでした。とり残された感じがしてあせりました。でもそれなりにがんばりました。全国にさきがけて合同卒計講評会も立ちあげたし(これはもう若手にゆずった感じです)。

それはそれとして花田さんの「うーん」ですが、ぼくなりに解釈すると、ご当惑は二重構造になっているようです。

(1)建築史家としては、概念(様式、主義、方法論)をしっかり提示して、それから建築家なり作品なり文献なりをといった対象を分析するのがスジではないか。建築史家として、概念=定規を使わないほうがいいという指摘をすることが、なりたつのか。

(2)松村正恒はそうした概念=定規を払拭した建築家であると分析しているのに、それでも分析が不足しているというのだろうか。松村正恒は定規を払拭した建築家だし、自分もやはり定規に固執しない建築家であるつもりである。この建築史家は、それでも不満なのか、この本論に賛成なのか反対なのか、よくわからない。

こうした指摘をいただいたことにして、とりあえず律儀にお答えしましょう。

ぼくはいわゆる建築史研究者のワクにはめがたい人間のようで、かつて松山巌さんから、建築史家なのに開発側に立つかのような発言をするのか、と批判をうけたことがあります。しかしぼくは、自分の学問を学問たらしめている枠組みをも批判的にとらえることを心がけており、だから様式概念や主義などをまず批判的にとらえることからはじめるべきだと、つねづね思っています。より正しく建築史家であるためにそう心がけているつもりです。

第二の点です。これはやはり批判めいたことでお気に障るかもしれませんが、やはり結論において、脱主義化が再主義化になっているきらいはあって、あるいは評論家的「レッテル貼り」にたいする「反レッテル貼り」もやはり「再レッテル貼り」に回収されてゆく危険性があります。

純粋な読者という立場がありえるかどうかしりませんが、建築史家であることをさておいて、そういう読者になったつもりで読むと、松村/花田のパラレルワールドの均整のとれた世界がずっとつづいていたのに、結論では花田さんが超越者になってしまった感は否めません。読者としてやや違和感を感じます。

もちろんそこが学術論文と、読み物のちがいかもしれません。研究としてはこの「結論」は不可欠です。その内容にもぼくは同意します。しかし読み物として、著者の存在が最後の最後で顕著になってくるのはあまり心地よくありません。ぼくはこの点をいいたかったのですが、この点こそがいちばん伝わりにくいことであったようです。「論文」と「叙述」はまったく違うものであり、その違いのなかに可能性があって、建築史はその可能性をすこしばかり探究したほうがいいのではないか。そういいたかったのです。可能性とは、いつも、合意できない箇所にあるもののように思えます。

ブログなどではどうも意図したよりも強い調子になるもので、誤解されることを恐れるのですが、ぼくはエールを送っているつもりです。これだけの労作ですから、モダニズム建築のあたらしい側面をあきらかにしたとか、モダニズム再考につながる、といった評価がされるでしょう。そのようなことはご興味のある方がたにお任せしたいと、ぼくは思います。ぼくが関心があるのは、歴史を書くこと、そのものの再検討ですし、それをとおしてひょっとしたら建築を語ることそのものの再検討というようなことです。

ところで村松/花田さんのパラレル関係とは違いますが、花田さん/ぼくの非対称関係もみえてきました。

花田さんは、組織設計事務所で実務の経験もある建築家であり、そして大学で設計の先生をされています。その立場で、建築史の文献を書いた。とうぜん方法論上のとまどいもあっただろうし、建築史専門家からの注文にも過敏になられます。

ぼくはその逆です。建築史の専門家なのですが、こともあろうに大学では設計教育の担当であり、デザインの教育もしていることになっています。もちろん建築史の立場からの設計教育もそれなりに世間的には認められているようですが、それでもアウェイ感はつねにあって、いまや常態化しています。しかし、最終的には建築史というものに回帰して、不器用なほどにオーソドックスに建築史叙述に没頭する一時期をもつ、というのがぼくの夢です。だから花田さんが松村のなかにパラレルを見たように、ぼくもあなたのなかに自分のパラレルを見ているのかもしれないし、だからこんなにたくさん感想を書けるのかもしれません。

そういう非対称の鏡像関係にある花田さんとぼくが、すこしばかりの見解の相違から意見を交換しています。でもそれだからこそ、そしておそらく同年生まれで故郷も近いという偶然もすこしは後押ししてくれて、たんなる自国領土の拡張をめざすというどん欲な動機ではなく、ある意味で純粋に、建築史はどう叙述しうるのか、そして建築はどう語るべきか、を話し合っているのだろうと思います。ぼくたちの交信をさらに客観的にみすえる、第三者の立場からそう見えることを願います。